2025年3月10日(月)、朝方に伴侶に起こされました。私がうなされて大声をあげていたといいます。伴侶は隣のリビングに居たので、余程大きな声だったようです。おぼろげに、声を出していた感覚がありました。今までにも、幾度か明け方に、唸り声をあげていた経験がありました。
殆どの場合は、闇のエネルギー体と対峙している時に声を出していたと感じています。チベットの過去世で、声を武器にして戦っていたことがあるようです。また、レムリアの過去世で、カラスのような鳥を集めて闇の仕事をする時に、声を出してカラスを集めていたというものもあります。人間の声は、目に見えないエネルギーです。
人の声は、波動であり、本来は光を広げるためのものですが、精霊と同様に暗闇にするために、闇のツールとして使っていたと感じています。いずれにしても、当日の朝、自分が大声を上げていたのは、何か見えない闇の存在と戦っていたからだと理解しています。朝うなされて大声を上げた対象の闇は、何だったのかを内観しました。
すると、心当たりがありました。前日に、松崎町関連の遠隔ワークを行っていました。静岡県松崎町は、私の過去世にも関係しており、本来は大きな光の地ですが、深い暗闇の地に変えられた場所でした。光の精霊が多く存在する光の地が、隠された松取り(松果体収穫)工作によって、深い闇の地に変えられてきたのです。
松取りは、目に見えない光の精霊を闇に変えるための仕組です。暗闇の役割の支配層が闇の精霊を集団にして術を用いて金儲けや支配に利用してきたのです。光の精霊が多く存在する場所程、深い闇の地に成るのは、そのためです。こうした自然の光の闇にして封印する役割が、支配層の秘密結社の創価学会の工作員集団だと捉えています。
自然豊かな地の山や川に宿る精霊を闇に変え集団にして、支配層が望む大衆を支配・統治する現実世界を作ってきました。そういう意味では、松崎町の地は、支配層の創価の中心拠点に成るのです。精霊が多く存在する大きな光の地である松崎町は、少なくとも、江戸時代から支配層の工作拠点になっていたと感じます。
《奴奈川姫の龍体が動くための出雲と伊豆の地の解放と創価の裏の本拠地となる静岡県の伊豆・松崎町の地》から《松崎町の左官職人・入江長八が描いた雌雄の狐の鏝絵と高弟・佐藤勉が修復した足立区の橋戸稲荷神社》までの6記事に、松崎の地のワークの内容を纏めています。松崎町は、北海道十勝の開拓の祖と呼ばれる「依田勉三(よだべんぞう)」の生まれ故郷です。
伊豆の隠れ里のような場所である自然の光がある松崎の地の精霊を闇に変えて集団にして闇のエネルギーにしました。その闇のエネルギーを北海道十勝の精霊を闇にするために使ったのです。暗闇に変えられた松崎の地を、もう一度、光の地に戻す必要がありました。ワークの結果から松崎町は、サンカの闇の中心拠点だと分かっていました。
「サンカ」とは、松取り工作の現場作業員を指します。サンカの源流は、渡来人に襲撃され支配された先住民にあります。支配層の渡来人の配下で、子どもなどの人さらいをして大名などの権力者に献上する仕事をしてきました。また、命を奪ったり、遺体の解体など血生臭い汚い仕事を強いられてきました。
松取り工作員としてのサンカは、汚い仕事ゆえに、大きな金などの報酬があり、金やエゴの闇で、本来の純粋な魂が封印されてきました。精霊と同じく光が闇に変わり、その地を暗闇にする土着の闇の役割を成してきたのです。私が唸り声を上げた対象は、こうした土着の闇となるサンカの闇だと感じていました。
しかし、伴侶に聞くと「エネルギー体ではなく人間だと思う」と話してきました。目に見えないエネルギー体ではなく、現実に存在する人間の思念のようです。いずれにしても、唸り声を上げたことは、私にとっての闇からのサインであり、最後の集大成として松崎町の現地に訪れて光を降ろす必要がありました。
3月18日(火)に松崎巡礼の旅を含めて伊豆の地に出発する予定でした。その出来事は、前日の17日(月)に起きました。昼頃、スーパーに買物に出かける途中で、近くに病院のある交差点で信号待ちをしていました。信号が青に変わり横断報道を渡って歩道を歩いていると、「誰か後に女の人が居たけど、何故か消えたみたい」と言いました。
交差点の側にある大きな病院は、昔は産婦人科があり、亡くなった女性かもしれないと思いました。亡くなった女性の魂が光に還るよう祈って光を降ろしました。しかし、買物から帰宅した後、伴侶が「首の後ろが冷たい」と訴えてきました。闇のエネルギー体がいるサインでした。首の後ろは、霊道と呼ばれる光の出入口がある所です。
経験的にも、光の柱が立つ首の後ろに闇の存在が憑依することがあります。首の後ろの冷たいサインは、過去に私も経験したことがあります。10年以上前に、大阪でお話会を開いた時に、福井から参加した男性が、福井県の銀行口座を持っていると定期的に入金されるという原発マネーの話をしてくれたのを覚えています。
その時は、冷たさと違和感でしたが、私の首の後ろにお地蔵さんのエネルギー体が刺さっていました。お地蔵さんのエネルギー体の解除・統合を意図して光を降ろすと、冷気と違和感は解消されました。伴侶の首の後ろの冷気は、憑依している闇の存在を光に還して欲しいという知らせだと見ていました。
伴侶の首の後ろの闇を意図して光を降ろすと、「黒いドラゴンがいる。女の人はシャーマン。松崎の龍を闇にして北海道に持ってきた」と伝えてきました。交差点で伴侶が感じた女性は、伴侶の過去世のシャーマンでした。アイヌのシャーマンの女性の時に、黒いドラゴンを闇の仕事をに使っていたのです。
黒い龍は、光の水の龍を闇に変えた闇の火の龍だと感じます。ドラゴンは火を吹く龍ですが、水を封じる役目もします。水を封じて雪や氷にするのです。水は流れて土地を洗って綺麗にしますが、雪や氷になると流れなくなり、綺麗に掃除する水の働きを失くしてしまいます。ヒプノセラピーの中でも、新潟の地は、本来は雪が降らない場所と伝えられていました。
龍が闇のドラゴンに変えられて水を封じるための雪を降らせていたのです。前日の3/16(日)に、道東を中心に北海道に大雪が降りました。ドラゴンが活動していたのだと感じます。松崎の地の闇は、伴侶の過去世であるアイヌのシャーマンも関係していました。伴侶が過去世で松崎から十勝に連れてきた龍を故郷の松崎の地に連れて帰る必要があるのです。
そのために、黒いドラゴンを託されたのでした。3月18日(火)、朝7時前の札幌発の特急列車に乗車して陸路で伊豆長岡駅に向かいました。いつもならば、新千歳空港から空路で羽田空港に移動して、バス、電車で伊豆長岡駅に向かうのですが、今回は、北海道新幹線を含めた電車での移動する陸路を選びました。
JR札幌駅からJR函館北斗駅に移動し、東北新幹線に乗車して東京駅まで移動しました。東京駅からから新幹線こだま号で三島駅まで移動して、伊豆箱根鉄道に乗り伊豆長岡駅に着きました。静岡県伊豆の国市の伊豆長岡の古奈温泉のホテルに到着したのは、17時頃でした。かれこれ約10時間の移動になりました。
松崎巡礼の旅は、3月20日(木・祝)に予定していました。20日の日、朝起きると、前日の夜、不思議な夢を見たのを覚えていました。熟睡していた私は、明け方に、自分の尾骶骨の辺りから龍の尾が出ているような映像を見ました。振動している体感もありました。目が覚めると、自分の中から龍が解放されたのかもしれないと思いました。
ホテルの朝食を取った後、部屋に戻ると部屋が異常に冷たい空気が漂っていました。冷気に満ちていた感じです。自分の中から解放された水の龍がいると直感しました。伴侶だけでなく、自分の中に封印されていた龍も伊豆の地に戻る時だったようです。松崎巡礼の旅の目的地は、依田勉三の実家である「旧依田邸」です。
ホテルを8時半過ぎに出て、バスと電車で移動して、修善寺駅に9時10分頃に到着しました。9時半の修善寺駅発の東海バスに乗って松崎バスターミナルに11時に到着しました。約1時間半のバスの長旅でした。松崎バスターミナルから旧依田邸の近くのバス停までは、1日数本のバスしかないので、タクシーで移動しました。
約15分タクシーに乗って、ようやく旧依田邸に到着しました。事前の調べでは、木曜日が定休日になっていましたが、祝日と重なっているために営業日になっていました。もしかしたら、貸し切り状態かもしれないと思っていましたが、やはり私たち2人だけの貸し切り状態でした。旧依田邸の情報は《松崎町 旧依田邸》に記載されています。
『旧依田邸は、江戸時代中期元禄期、今から300年前に建てられた母屋と、200年前に建てられた離れ、幕末に建てられた蔵3棟の併せて5棟が、国の登録文化財から、平成22年に静岡県の文化財に指定されました。民家では伊豆地域で2番目に古い建物です。松崎を含む西伊豆一帯は冬に強い西風が吹きます。
当地特有の建築様式である「なまこ壁」は、火災になった場合、西風による延焼を防いでくれます。なまこ壁の住宅では最古のものです。当時の建物を改修し、昭和36年からホテルとして営業を続けておりましたが、残念ながら、依田家として、住宅を残し守ることは不可能になりました。
このため、平成27年にNPO法人伊豆学研究会とNPO法人くらしまち継承機構において土地・建物の財産を取得し、その後、平成29年3月に松崎町が取得しました。町では、現在、旧依田家の文化的価値を残しながら、観光・文化・地域活性化に資するための整備に取り組んでいます。
[依田家の歴史]依田家は武田晴信(信玄)の家来だったと言われており、戦国時代の終わりに甲州から移ってきて当地に根を下ろしました。依田家は400年間、この地で名主として地域を支え、代々家を守り続けてきました。依田家は、江戸時代には山を活用した木炭生産と廻船で地域を支えていました。
明治になってから、第11代当主の依田佐二平は製糸業を中心に殖産興業を行い、国会議員となって地域に尽くしました。その弟の依田勉三は北海道十勝開拓の先駆者であり、札幌にある北海道開拓神社に祀られています』。旧依田邸は、静岡県賀茂郡松崎町大沢153に所在しています。旧依田邸は、近くに綺麗な水が流れる川の側で山の麓にありました。
旧依田邸の建物の中に入ると、受付の男性の方が簡単な説明をしてくれました。石の上に載せた太い柱は地震に強い構造になっており、大地震でも壊れなかったといいます。私が静岡県の韮山(伊豆の国市)の出身で、伴侶が北海道の十勝(帯広市)出身であることを話すと驚いていました。旧依田邸には、私と魂的に関係が深い江川英龍の家財も展示してあります。
案内の方の説明を聞いた後、ゆっくりと旧依田邸内を見学していきました。依田家は、木炭を含めた材木業、養蚕・製糸業・廻船業を手掛けていました。全て、支配層の松利権に関わっています。松利権は、支配層の松取りによる裏のビジネスです。旧依田邸の展示物を見て驚いたことは、当時、依田家の製糸業が欧州の生糸相場を決めていたということでした。
それほど、大きな力を有していたのです。邸内を見学している途中で、「ここはシリウスの場所」と伴侶が話してきました。光の精霊が沢山いる大きな光の場所だったのです。また、伴侶は、過去世で依田勉三の祖母で、裏に隠れていた存在だったともいいます。依田家の代表的存在である依田勉三と兄の依田佐二平を動かしていました。
松崎の地を暗闇にして、十勝の精霊を闇にする役割を成していたと感じます。旧依田邸は、湧水が出る湧水地であり、隣の施設には足湯もある温泉が出る場所でもあります。火と水が共存する大事な光の地でした。この自然の光を封印するための闇の役割を担ってきました。裏に松取りの闇がある木炭・生糸・廻船などの事業を展開して、暗闇にしてきたのです。
江戸時代、日本各地にあった松の事業を1箇所に集めたのが旧依田邸であり、支配層の松システムの源流だと感じます。屋内の見学を終えて、庭に出ました。旧依田邸には、遠隔で光を降ろしていましたが、現地で、再度、光を降ろすことにしました。心地よいそよ風が吹いている中で、旧依田邸の地が本来の姿になるように意図して光を降ろしました。
「いいと思います」と伝えられました。旧依田邸の地下には、大きな岩があるといいます。その岩がシリウスの光である精霊であり、自然の光の源でした。火の龍から水の龍に変わった伴侶の龍は、旧依田邸に向かうタクシーに乗車している時に出て行ったといいます。私の龍もバスで移動途中に解放されたと感じていました。
光を封印して暗闇にすることは、魂の修行と成長のためには必要でした。深い闇を経験して大きな光に成るためです。松崎にある旧依田邸は、重要な役割を担っていました。伊豆の地は火の場所であり、十勝の地は水の場所です。分離された火と水が統合されて、本来の統合された光になります。旧依田邸と松崎の地が本来の光を取戻すことを願っています。
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