千葉県市川市にある「法華経寺」の歴代の住職の内、開山(かいざん)で法華経寺初代貫首の「常修院日常(富木常忍・ときじょうにん)」と法華経寺の中興で、法華経寺3代目貫首の「日祐(にちゆう)」の御魂を光に還すワークを行いました。続いて、法華経寺の現・貫首に移りました。
《財団法人法華会公式サイト》によると、法華経寺の現・貫首は、新井日湛(あらいにったん)です。経歴をネットで調べましたが、見当たりませんでした。法華経寺の現貫首・新井日湛に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「レプ」と伝えられました。支配層に多く見られるトカゲ系の工作員の役割を担っているようです。
これまでの経験的に、大きなお金が集まる銀行・病院・寺院などには、トカゲ・レプタリアンの宇宙人が多く存在します。法華経寺の境内には、鬼子母神(きしぼじん)堂があり、鬼子母神が広く信仰を集めています。法華経寺の鬼子母神堂は、下谷の入谷鬼子母神真源寺、雑司ヶ谷の法明寺境外堂鬼子母神堂と共に、江戸三大鬼子母神の1つです。
wikiによると、鬼子母神は、仏教を守護する天部の一尊です。梵名ハーリーティーを音写した訶梨帝母(かりていも)とも言います。鬼子母神は、夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下である八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありました。
これら大勢の子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていたことから、多くの人間から恐れられていました。インド(ヒンドゥー教)では、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたりしました。
上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修しています。日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになったといいます。
過去のヒプノセラピー記事《「ハトはドラコ。騙す闇」》では、鬼子母神は、インドの生贄の女神のカーリーだと伝えられています。法華経寺の鬼子母神堂に祀られた鬼子母神像、法華経寺所在地(千葉県市川市中山2丁目10-1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「悪魔」「いいです」と伝えられました。やはり、鬼子母神は、生贄など食人の闇の役割のようです。
次に、wikiの沿革に記載されている法華経寺に関係する人物や場所を追って行きました。まず、「宇都宮日綱」をピックアップしました。wikiによると、『昭和21年(1946年)126世宇都宮日綱上人代に一部末寺と共に日蓮宗を離脱し「中山妙宗」を立ち上げ、中山妙宗に所属する宗教法人法華経寺として登記した。
宇都宮日綱は妙香寺 (横浜市)の元住職で東京博善の元社長』と記されています。宇都宮日綱の経歴は《神田学会》に記されています。『2代目 宇都宮日綱(昭和4[1929]年就任〜昭和37[1962]年退任) 日蓮宗法華経寺貫主でした。宗教性を失わないようにするため、仏教界から出資、日蓮宗系からは、宇都宮貫主と私の祖父で日蓮宗堀ノ内妙法寺住職の藤井教詮、真宗大谷派赤羽山法善寺住職から中山理々が役員に入りました。
中山が専務、祖父は監査役でした。東京博善も同様でした。東京博善との深い関係は昭和50〜60年代まで続きました。宗教者による経営です。悪く言えば坊さんたちの“殿様商売”です。のちに、そこに付け込まれる隙があったのです。いわば待っていればいい商売ですから』。宇都宮日綱は、博善株式会社(現・東京博善)の第2代社長です。
東京博善株式会社(とうきょうはくぜん)は、中国資本が入った企業の広済堂ホールディングス子会社で東京都内において6ヶ所の斎場(火葬場)を直営する企業である。広済堂ホールディングスグループの1つです。東京博善は、斎場・火葬場の裏で成される遺体が絡む支配層の松利権に深く関係していると見ています。人間が死亡した後の遺体は、中国が強みとする臓器売買の闇や火葬にした後の遺骨から製造する人工ダイヤモンドの闇が絡んでいます。
詳細については、《東京23区の火葬場6箇所を持つ東京博善の創業者・木村荘平と力を貸した初代警視総監・川路利良》《東京博善の筆頭株主になった廣済堂創業者で黒幕の児玉誉士夫らと人脈を築いたフィクサー櫻井義晃》《広済堂ホールディングスの株を支配するラオックスと松利権や臓器売買ビジネスに繋がる中国の闇》のシリーズ記事に記されています。
宇都宮日綱の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「中国工作員」と伝えられました。やはり、中国の闇に深く関わっていたようです。次に、武井日進(1906-1983・武井敬三)をワーク対象に選びました。wikiには、『昭和47年(1972年)132世武井日進上人代に日蓮宗に復帰する。
武井日進(1906-1983、武井敬三)は佐藤栄作の親衛組織「TKプロダクション友の会」を組織した武井組の組長で、法華経寺宗務総長の傍ら全日本愛国者団体会議議長や武井睦会(テキ屋で組織された武井一家の親睦団体)相談役、愛国誠友会(山口組系城滝組組長福富勇が右翼転向をはかって組織した任侠系団体)の最高顧問などを務めていた』と記されています。
武井日進は、大物政治家の元首相・佐藤栄作や暴力団との繋がりがありました。武井日進の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松喰い」と伝えられました。松果体収穫をしながら、自らも松果体を食していたようです。次に、武井日進の経歴で出てきた「全日本愛国者団体会議」に着目しました。全日本愛国者団体会議の情報はwikiに記されています。
『全日本愛国者団体会議は1959年(昭和34年)4月19日に設立された国内最大の右翼団体の聯合体である。行動右翼団体のほとんどが加盟しており、参加団体の運動方針に大きな影響を与えている。国体護持、反共協同戦線を二大綱領とした。略称は全愛会議。事務所は東京都台東区上野におかれた。初代議長は佐郷屋嘉昭。
[概要]発会時には生産党、国粋会、殉国青年隊など80団体が参加した。1964年の第6回大会までには440団体に増加した。1960年には28団体が参加した児玉誉士夫系の青年思想研究会も結成された。この会に属していた「楠皇道隊」がのちに、日本最大級の団体の一つ、日本青年社となる。
議長団には佐郷屋嘉昭・小崎金蔵(日本同盟)、高橋正義(日乃丸青年隊)、西山幸輝(昭和維新連盟)、荻島峯五郎(暴力団日本国粋会前川一家総長。愛国青年連盟)が選ばれた。最高顧問には三浦義一、児玉、井上日召、橘孝三郎、顧問には天野辰夫、笹川良一、吉田益三、寺田稲次郎、大沢武三郎らが就任した。
任侠団体は参加せず、また児玉の任侠団体聯立構想も実現せず、その一部が関東会に結集した。他に政財界と結んだ新日本協議会、日本を守る国民会議(後の日本会議)などもある。初代議長佐郷屋の跡は、武井組組長の武井敬三が議長となり、長く2代目を続けた。武井は新宿のテキ屋で、横井英樹の東洋精糖乗っ取り事件などに関わった。
佐藤栄作の用心棒集団「TKプロダクション友の会」を率いた。武井日進の名で法華経寺の管長も務める傍ら、武井睦会、銀武会、信武会、愛国誠友会、大日本石雲会など多くの団体の幹部を務めた。昭和45年(1970年)5月の全国大会で地方にブロック協議体を置くことが決まり、関東協議会、三曜会(関西)、中部愛国者連盟。九州二十五日会、東北地区会議、四国協議会ができた』。
全日本愛国者団体会議は、日本の反社・サンカ・同和の一大団体であり、政財界のフィクサー・黒幕と呼ばれる児玉誉士夫も関係しています。全日本愛国者団体会議の初代議長は、佐郷屋嘉昭(留雄・さごうやよしあき(とめお))です。経歴はwikiに記載されています。『佐郷屋留雄(1908年-1972年)は、中国延辺朝鮮族自治州出身の右翼活動家。熊本県出身。
別名は佐郷屋嘉昭。玄洋社系右翼団体愛国社党員。濱口雄幸首相暗殺未遂犯。[経歴]本籍は長崎県東彼杵郡彼杵村だが、清の吉林省和龍県大拉子(現在の中国延辺朝鮮族自治州)で生まれ、朝鮮の忠清南道大田面に転居し同地の小学校を卒業。15歳で家出し、福岡県大牟田市に暮らす生母の佐郷屋いそのもとに寄宿し、同地で日本郵船営口丸の舵夫となり、19歳まで横浜や神戸など各地の汽船会社を転々とする。
その後一年間満洲を放浪したのち1927年に大連からシンガポールへ密航し、翌年鹿児島丸で神戸に戻り、上京して黒龍会渡辺義久らの世話になる。1929年に渡辺が殴打される事件が起こり、その報復に犯人を襲い傷害罪で逮捕され、執行猶予4年の刑を受ける。1930年7月に愛国社の社員となり、同年11月に濱口首相襲撃事件を起こす。
〈濱口首相暗殺未遂事件〉1930年11月14日午前8時58分、東京駅構内にて、特急燕に乗り込むためホームを移動中の濱口雄幸首相を至近距離より銃撃、重傷を負わせる(濱口首相遭難事件)。佐郷屋は銃撃直後に周囲の手で取り押さえられ、現行犯逮捕された。佐郷屋は背後の右翼団体を表には出さず、「濱口は社会を不安におとしめ、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」と供述した
しかし、「統帥権干犯とは何か」という質問には答えられなかった。濱口首相は一命を取り留めたものの、翌年、この時の傷がもとで死去した。ただし、濱口首相が特殊な細菌の保有者であったことから、死因は、この細菌が傷口に侵入したことによる化膿によるものと判断された。佐郷屋は殺人未遂罪で起訴、一審では殺人罪が適用され死刑判決。
二審では殺人未遂罪が適用され死刑判決が言い渡され、1933年11月6日に上告が棄却されたことにより死刑判決が確定した。1934年恩赦で無期懲役に減刑された。1940年に仮出所している。〈出所後〉出所したのち、愛国社社長岩田愛之助の娘婿になり後を継いで右翼活動を続け、戦後は公職追放を受けるが、佐郷屋嘉昭と改名した。
1954年、血盟団事件の中心人物である井上日召と共に右翼団体護国団を結成、副団長となる。団は、メンバーが企業・宗教団体あるいは団員になることを断った者への恐喝や監禁・リンチ等の暴力事件をたびたび繰り返し、逮捕されている。佐郷屋自身も繰返し逮捕されているが、団長の井上日召が責任を取るとして、団及び団長を辞めたことで、かえって佐郷屋が団長となっている。
1959年には児玉誉士夫らがいる全日本愛国者団体会議(全愛会議)の初代議長となる。弟子に藤元正義がいる。「極真会館」のナンバー2となり日本とオランダでキックボクシングを育てた黒崎健時は「格闘技通信」で、母親を心配させるのが苦しくて地元から出ようと考えたときに紹介してくれる人がいたため世話になったが、佐郷屋より思想的教育を受けた事実はないと答えている。
1972年4月14日、入院先の東京慈恵会医科大学付属病院で肝硬変により死去。同年9月8日、東急建設専務が自社株売買をネタに恐喝されていた事件で相模工業学園理事長、右翼団体塾長の2人が逮捕されたが、佐郷屋も生前に恐喝に関与していたとして書類送検された』。全日本愛国者団体会議の初代議長・佐郷屋嘉昭は、旧満州の中国朝鮮族の出身でした。
旧満州の地は、深い闇の地である故に、そこに生まれた人間は、深い闇の役割の工作員となります。全日本愛国者団体会議の初代議長・佐郷屋嘉昭の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「海賊」と伝えられました。海賊は、水軍でもあり、海版の松工作の現場工作員のサンカと言えます。
《右翼民族派言志録のX》によると、全日本愛国者団体会議の現議長は、新井聖動です。経歴は、『愛国者団体会議議長。新日本憂国連合評議会議長。政治結社「聖魂塾」最高顧問。【沿革】昭和58年、日本の未来を憂い聖魂塾結成。全日本愛国者団体会議に加盟し活動。平成11年新日本夕刻連合評議会設立』とあります。
全日本愛国者団体会議の現議長・新井聖動、本部所在地(東京都台東区上野1丁目15-10)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「色情。反社」「いいです」と伝えられました。やはり、裏世界に通じる反社工作員の役割を担ってるようです。全日本愛国者団体会議-wikiの加盟団体に、記載されている「江澤研究所」が気に成りました。
wikiには『北海道 ・江澤研究所北海道支部(北海道) 東北地方 ・江澤研究所岩手県本部(岩手県) 千葉県 ・江澤研究所(千葉県)』と3箇所に拠点が記されています。「江澤研究所」を追跡しました。江澤研究所の情報はwikiに記されています。『江澤研究所(せいじけっしゃ えざわけんきゅうじょ)は、全日本愛国者団体会議に加盟する日本の右翼団体。
[設立]平成9年(1997年)10月10日[設立者]会長・江澤良彰[活動内容]・領土問題(北方領土・竹島・尖閣諸島)についての研究及び行動。・既成企業等の動向を調査研究し、日本政府の経済政策及び企業実態の墜落点の解明、追及。・悪徳企業の撲滅に向けての糾弾活動。・悪徳経済政策に対しての糾弾活動。
・青少年の育成道義を重んじ既成教育の改革肯定論の展開。・地域保護と環境破壊の防止運動。・公共工事に於ける談合の研究、及び追及。・共産党撲滅・日教組、全教の解体。[本拠地]千葉県千葉市中央区に総本部を置く。[本部・支部]北海道支部 所在地:北海道虻田郡 岩手県本部 所在地:岩手県釜石市』。
江澤研究所の令和4年の収支報告書には、千葉県千葉市中央区仁戸名町411-28と記されています。江澤研究所の設立者/会長の江澤良彰、本部所在地(千葉県千葉市中央区仁戸名町411-28)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「反社」「いいです」と伝えられました。裏で政界と繋がっている反社工作員の役割のようです。
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