「宗教団体に光を降ろすと着物姿の闇のエネルギー体が現れた。傲慢なエゴの闇。4日間光を降ろして闇を解除すると、中から闇の宇宙存在が出て来た。人間のエゴが作り出した闇のエネルギー体が闇の宇宙存在を封印していた。宗教という闇の役割は終わりを迎えている。」
2015年1月末、宗教団体の闇の解除を行いました。宗教は人々が暗闇の経験をするために必要だったことは分かっていました。闇の時代から光の時代に移行する時、宗教の役割も終わります。宗教団体に光を降ろして背後の闇の存在を解除し、光に還す必要がありました。
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2017年07月02日
2017年03月28日
奈良 三輪逆 〜巡礼の旅(366)〜
「渡来人の有力氏族の始祖に光を降ろし、氏祖の御魂を光に誘った。日本の光を封じていた闇の蓋が外れることを意味する。闇の役割の渡来人が日本を封印したのは、日本が統合の光になるため。日本から闇の時代が終わり、対立や戦いのない平和な光の時代が始まる。」
藤原鎌足の御魂を光に誘った翌日、右手の薬指に軽い痛みを覚えました。右手の薬指は、日本列島でいう房総半島の先にある館山の地を意味します。館山の地は、関東の玄関口にあたります。渡来人の忌部氏が四国から船で太平洋岸を移動して、房総半島の館山に着いたのです。
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藤原鎌足の御魂を光に誘った翌日、右手の薬指に軽い痛みを覚えました。右手の薬指は、日本列島でいう房総半島の先にある館山の地を意味します。館山の地は、関東の玄関口にあたります。渡来人の忌部氏が四国から船で太平洋岸を移動して、房総半島の館山に着いたのです。
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2017年03月20日
奈良 物部尾輿 〜巡礼の旅(364)〜
「光の講座の中で具体的な氏名を意図して光を降ろし、合計13人の渡来人とその仲間の御魂を光に誘った。その中でも、物部尾輿は陰陽師であり、闇のエネルギーを用いて、大国主命などの縄文の神々を封印した、渡来人の中でも黒幕的なキーマンだったことが分かった。」
大伴氏の始祖・道臣命の御魂を光に誘った後、「船氏(ふねうじ)」が指名されました。船氏の氏祖は、王辰爾(おうじんに)で、第16代百済王辰斯王の子辰孫王(しんそんおう)が発祥とされます。蘇我稲目が勅命を受け、船の賦(みつぎ)を記録し、船史(ふねのふびと)の姓を賜ったといいます。
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大伴氏の始祖・道臣命の御魂を光に誘った後、「船氏(ふねうじ)」が指名されました。船氏の氏祖は、王辰爾(おうじんに)で、第16代百済王辰斯王の子辰孫王(しんそんおう)が発祥とされます。蘇我稲目が勅命を受け、船の賦(みつぎ)を記録し、船史(ふねのふびと)の姓を賜ったといいます。
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2015年04月09日
奈良 太安万侶の墓 〜巡礼の旅(190)〜
太安万侶(おおのやすまろ)の墓にて、光を降ろして太安万侶の御魂が仲間と一緒に光に還り、竹林寺の行基の墓前にて、光を降ろして行基の御魂が昇天し、竹林寺古墳から縄文の女神が解放された、奈良巡礼の旅
1月18日(日)、私たちは唐招提寺での解除を終えて、太安万侶の墓に向かいました。太安万侶の墓への訪問はきっかけがありました。昨年11月、岡山巡礼の旅の際、ホテルに宿泊した夜、「枕元に誰かが立っていた」と伴侶が言いました。私は直感的に、太安万侶だと思いました。闇の役割としての日本書記を編纂した藤原不比等も光に還りました。
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1月18日(日)、私たちは唐招提寺での解除を終えて、太安万侶の墓に向かいました。太安万侶の墓への訪問はきっかけがありました。昨年11月、岡山巡礼の旅の際、ホテルに宿泊した夜、「枕元に誰かが立っていた」と伴侶が言いました。私は直感的に、太安万侶だと思いました。闇の役割としての日本書記を編纂した藤原不比等も光に還りました。
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2015年04月07日
奈良 唐招提寺 〜巡礼の旅(189)〜
「私はこの地が好きだ。私のやってきたことが結果的に日本の妨げになったのなら申し訳ない」と伝えて来た鑑真のエネルギー体と対話し、光の柱を降ろすことで鑑真のエネルギー体が一門の僧侶たちと一緒に光の世界に還って行った、唐招提寺での浄化と解除
1月18日(日)から23日(金)まで、大阪出張に合わせて、奈良県、大阪府、鹿児島県の巡礼の旅を行って来ました。奈良は古事記を編纂した太安万侶の魂を光に誘う必要がありました。また、鹿児島県は九州の最後の巡礼の地として残っていました。鹿児島後が、レムリアのエネルギーを色濃く残している場所だと感じていました。
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1月18日(日)から23日(金)まで、大阪出張に合わせて、奈良県、大阪府、鹿児島県の巡礼の旅を行って来ました。奈良は古事記を編纂した太安万侶の魂を光に誘う必要がありました。また、鹿児島県は九州の最後の巡礼の地として残っていました。鹿児島後が、レムリアのエネルギーを色濃く残している場所だと感じていました。
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