2014年11月15日

伊豆の国 本立寺 〜巡礼の旅(127)〜

香山寺(こうざんじ)の山木兼隆供養塔、山木館跡に光を降ろて、源頼朝の挙兵時の襲で犠牲になって留まる御魂を光に誘い、本立寺(ほんりゅうじ)の背後の豊臣秀吉軍の付け城があった七面山(しちめんさん)に光を降ろして、黒龍が解放されたと感じる風が吹いた、伊豆の国市韮山の巡礼の旅

8月15日(金)、伊豆の国市韮山の12箇所の神社仏閣を一人で訪れました。お盆に実家に帰省した際、故郷の土地を開くための巡礼の旅を行いました。伊豆の国市韮山は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の流刑地・蛭ヶ小島、頼朝の妻・北条政子の産湯の井戸、江川英龍によって作られた反射炉、江川邸など歴史的な名所のある街です。

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当日、午前9時半頃、実家を徒歩で出発し、香山寺に着きました。臨済宗の香山寺は、源頼朝が源氏再興の挙兵をした際に、最初に標的とされた山木(平)兼隆が建立した寺です。石段の参道を登って境内に入ると奥に、山木兼隆供養塔がありました。山木兼隆(伊勢平氏)は判官(検非違使)でしたが、父の訴えにより罪を得て伊豆国山木郷に流されました。

後に、平氏政権の下で伊豆国司(平時忠)の目代となり、源頼朝の監視役となりました。1180年、源頼朝の挙兵時に最初の標的とされ、佐々木盛綱と加藤景廉によって討ち取られたといいます。山木兼隆供養塔の前で、この地を開きに来た旨を伝えて、光の柱を降ろしました。風が吹くのを感じました。

香山寺を後にして、浄念寺に着きました。浄念寺は浄土宗の寺院です。石段の参道の登り口に石仏があり、光に還るよう促して光を降ろしました。石段を登り、本堂のある境内に出ました。本堂の前で、解除の宣言して、境内全体に光を降ろしました。浄念寺の解除を終えて、歩いて7分程で山木館跡に着きました。

山木館跡は、源頼朝に襲撃された山木判官の平兼高の館跡です。山木館跡には案内板があるだけで、現在は民家になっていました。私は、この地に留まっている御魂が光に還るよう祈りながら光の柱を降ろしました。山木館跡を後にして、徒歩10分程で本立寺に到着しました。

本立寺は、静岡県伊豆の国市韮山金谷にある日蓮宗の本山で、山号は大成山といいます。本立寺は鎌倉時代から続く名家である江川氏の菩提寺です。1261年、伊豆に流されていた日蓮上人が、十六代当主江川太郎左衛門英親に招かれ、教化を行ったところとされます。江川英親は身延山へ登り、日蓮上人より法号を授けられたといいます。

山門をくぐり参道を進んで、本堂のある立派な境内に出ました。本堂の手前には日蓮上人の大きな銅像があり、この地を開きに来た旨を伝えました。境内にある石仏たちにも役目を終えて、光に還るように伝えました。本堂や神木を含めて境内全体に光の柱を降ろしました。本堂の右手に「玉女峰」と記された鳥居があり、進んで行くと稲荷社と思われる祠がありました。

解除の宣言をして、光の柱を降ろしました。祠の左奥には山につながる道がありそうでした。本立寺の本堂が背にした七面山は、付け城があった場所です。1590年、豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた時に、韮山城でも籠城戦になったといいます。豊臣軍が韮山城を包囲するために、築かれた陣城の跡が、韮山城周辺の山地に残っているといいます。

七面山の山頂への道は険しそうでしたので、山に登るのは断念して、遠隔で光を降ろすことにしました。七面山が開かれるように意図して光を降ろしました。巻き上げるような風が吹いたので、黒龍が解放されたと感じました。本立寺の解除を終え、歩いて5分程で御嶽神社に着きました。鳥居をくぐって石段を登り、社殿のある境内に出ました。

社殿の右手に古い石祠がありましたので、光を降ろしました。こじんまりとした社殿の前で、この地を開きに来た旨を宣言して、境内全体に光の柱を降ろしました。御嶽神社を後にして、韮山城址の中にある熊野神社に向かいました。

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posted by 地球の子 at 10:30| 静岡県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする