8月15日(金)、伊豆の国市韮山金谷ある御嶽神社の解除を終えて、韮山城跡公園の中にある熊野神社に15分程歩いて移動しました。韮山城は静岡県伊豆の国市韮山にあった室町時代後期から戦国時代にかけての平山城です。15世紀末に北条早雲の関東経略の拠点として整備され、後北条氏の関東支配後も伊豆支配の拠点としての城でした。

1590年には豊臣秀吉による小田原征伐において激しい攻防戦を経験しており、「龍城」の異称を持つとされます。熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社です。熊野詣の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により熊野信仰が広まり、全国に三千余の熊野神社が作られました。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての中世熊野詣における皇族・貴紳の参詣から始まり、承久の乱以後の鎌倉時代には新たな参詣者層として地方の武士が登場してきたといいます。韮山城跡公園の熊野神社は、北条早雲が韮山城の守護神として建立したと伝えられています。鳥居は1750年に江川家の寄進で建立されたそうです。
祭神は伊邪那美神(いざなみかみ)。1590年の豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城した後は、韮山城のある土手和田(どてわだ)の村民から信仰を集めていたといいます。小高い丘の上にある韮山城跡公園の坂道を登って行くと、赤い屋根の小さな社殿がありました。解除の宣言をして、光を降ろしました。
その後、土道の階段を登って、韮山城の本丸跡に移動しました。伊豆の田園風景が一望できる眺めの良い場所でした。私は、この地が本来の姿になることを意図して光の柱を降ろしました。巻き上げる風が吹くのを感じました。龍神が解放されたと思いました。青緑色に輝く玉虫が体に向かって飛んできました。
韮山城本丸跡を後にして、若宮八幡宮に向かいました。若宮八幡宮が建つ小高い丘は、和田島砦(わたじまとりで)であるといいます。豊臣秀吉との戦いに備えて、韮山城を強化するために北条氏よって築かれた城塞群の一つだそうです。頂上に繋がるコンクリートの坂道を登っていくと、緑色の苔が生えていて滑りました。
危険なので登るのを止めて、その場で遠隔で光の柱を降ろしました。ここでも巻き上がる風が吹いて、龍神が解放されたと感じました。次に、意利日(いりひ)神社に向かいました。真如(しんにょ)入口の所に、庚申塔がありました。猿田彦大神と刻まれた石碑と石仏も祀られていました。私は解除の宣言をして、光を降ろしました。
そこから15分程あるいて、意利日神社に到着しました。山を背にした社殿はこじんまりしたものでした。意利日神社のある場所も、北条氏の韮山城跡の一部にあたるようです。社殿と境内社の対して解除の宣言をして、全てが本来の姿になるよう意図して光の柱を降ろしました。意利日神社を後にして、最後の目的地である荒神社に向かいました。
途中で、弘法大師像や不動明王像などの仏像を祀る不動堂がありましたので、光を降ろしました。徒歩で10分程で、荒神社に着きました。荒神社は、伊豆の国市南條にある神社で、祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)といいます。
竈(かまど)の神、火の神を祀った神社です。休みながら長い石段の坂道を登って、小高い丘の頂上に建てられた社殿のある境内に着きました。社殿の前で、この地を開きに来た旨を伝えて、光の柱を降ろしました。照りつける日差しの中、3時間半歩いて回った巡礼の旅を終えました。伊豆の国市韮山の地が開かれることを祈りながら家路につきました。
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