2020年06月23日

北海道 寒気を感じる暗闇で覆われた札幌・月寒 〜巡礼の旅(544)〜

「目の痛みから東北・北海道の軍都の闇の解除を行った。弘前市、むつ市大湊、秋田市、盛岡市、札幌市月寒に光を降ろした。軍都の闇は天皇派の闇であり、光と表裏一体としての純粋な暗闇。純粋な闇の上にエゴの闇が構築されて、より深い暗闇となる。」

今年1月上旬の夜、両目奥と眉間に軽い痛みを覚えました。鼻の不調から山形県の軍都の解除ワークをした後なので、青森県、秋田県、岩手県の軍都の闇の解除だと感じました。軍隊の都市としての純粋な闇は、東北・北海道の闇のベースとなっている感じでした。

800px-旧北部軍司令官官邸[1].jpg

軍都についてのウィキペディアを読むと、青森県は「弘前市」とむつ市「大湊」、秋田県は「秋田市」、岩手県は「盛岡市」が記載されていました。東北の中心都市は、軍都となり、純粋な闇で覆われて来ました。1つ1つの都市の歴史を知りながら、光を降ろして闇の解除・統合のワークをして行きました。

青森県弘前市は、江戸時代は弘前城の城下町であり、戦前は大日本帝国陸軍第八師団が駐屯していました。弘前城を中心に弘前市に光を降ろすと「渦巻きがあった」と伴侶が言いました。渦巻きは、闇のエネルギーを広げるための仕掛けです。むつ市大湊は、明治以降は帝国海軍の軍港となりました。

第二次世界大戦後も海上自衛隊の大湊地方隊が設置されています。大湊を中心にむつ市に光を降ろすと「ゴキブリがいた」と伝えて来ました。ゴキブリは、お金という闇のエネルギーを意味します。大湊は日本最初の原子力船「むつ」の母港でしたので、お金のエネルギーが置かれていたと感じます。

秋田市には、明治時代に陸軍第8師団の指揮下にあった歩兵17連隊が仙台から秋田へ移駐しました。秋田城を中心に光を降ろすと「裏インド」と伴侶が伝えて来ました。盛岡市には、陸軍第8師団下の騎兵第8連隊が置かれました。盛岡城に光を降ろすと「ここは分からない」と伴侶が伝えて来ました。

北海道の軍都を調べてみると「旭川市」と札幌市豊平区の「月寒」と記されていました。旭川市は様々なポイントについて過去にワークをしたことがあり、今回光を降ろさなくても大丈夫だと感じました。しかし「月寒」は初めてでした。1871年(明治4年)に岩手県からの入植者によって開拓された街です。

月寒は、伴侶に縁がある場所でした。昔、通っていたハローワークが月寒にあったといいます。また、伴侶が「今日、買物の帰りに兵隊さんのような人がいると感じた」と話して来ました。さらに、不思議な事に、その日の夕方のニュースで「豊平区の倉庫で砲弾が見つかった」と伝えられていました。

ネットで調べると月寒は、陸軍第7師団歩兵第25連隊が駐屯していた基地の街でした。陸軍によって月寒に敷設された水道は北海道で初の水道であり、その取水塔は現在の西岡水源池に残されているといいます。この2つの出来事は偶然ではなく、軍都の闇の解除を示唆していたと感じました。

光を降ろすポイントを調べていくと、旧陸軍の北部司令部が置かれていた場所が、現在の「つきさっぷ郷土資料館」でした。戦後、GHQに接収された後、1983年(昭和58年)まで北海道大学学生寮として使われました。月寒の地に留まっている御魂が上がり、軍都の闇が統合するよう意図して光を降ろしました。

「とても暗い闇」と伴侶が伝えて来ました。本来、水の場所である光の場所を封じるために軍都という純粋な闇を置いたと感じます。天皇派の純粋な闇であり、光を表裏一体の冷たい暗闇です。純粋な闇の上にエゴの闇が構築されて来ました。軍都だった地が光輝く街として蘇ることを願っています。

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ラベル:軍都 月寒 大湊
posted by 地球の子 at 20:52| 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする